見た目がすげえ

カルト宗教2世がアラサーになりました。社会不適合者の回顧録。

カルト2世、家を出る(後)

実家のカルト宗教から脱出するまでの記録。

団体が特定されないように呼称など変えている点もあります。

 

後編 高校以降のこと

 

3. 高校時代

高校入試当日の朝、母親は私に「お守り」を持たせたがった。

「お守り」は信仰団体としては重要な意味合いを持つもので、相変わらず両親は肌身離さず携帯していた。私は中学3年頃からお守りを持ち歩かなくなった。両親は反抗期の一つだと考えたらしい。別段とやかく言わなかった。

入試という大事な日なんだから尚更持って行きたくなかった。しかし親は、まったく逆の発想から、持って行けと言う。一悶着あって、結局持っていくことになった。

 そんな最悪の気分で受験したけれど、志望校には合格した。

 高校では変わろうっていう前向きな気持ちが強くて、クラスにすぐ馴染めたと思う。けれどやっぱり周囲の子が何考えてるのか、さっぱり分からなかった。

 

この時期になると両親も娘の心境の変化を察していた。信仰団体のきまりで、定期的に外部施設に参拝へ行くことになっている。週末の両親の参拝に私はついて行かなくなっていた。けれども儀礼から完全に解放されたわけではない。毎日2回の「お祈り」は嫌々参加していた。

 「お祈り」の席順は、必ず年長者が一番前ということになっている。うちでは、父が先頭、後ろに私と母が並ぶ。全員が前を向く。

 

ある日のお祈りの最中に心臓のバクバクが止まらなくなった。その日以来症状は毎日続くことになる。心臓のバクバクは不思議なことに両親に見られるとピタっと止んだ。

過呼吸」というものを当時は知らなかったけれど、今考えるときっとそうだったんだろう。どのみち、身体が限界を訴えていた。

 

「宗教やめたい」

ついに両親に訴えたのは、高校1年の秋頃だったか。話しながら、涙がボロボロこぼれた。

 

高校生になってからは具体的に宗教から脱退しよう、という危機意識が芽生えてきていて、同時に両親とは絶対的に対立するはめになるんだろうな、とも感じていた。それでまずは敵を知ろうと思って、宗教団体の名前をネット検索にかけてみた。

見たものは想像以上だった。どのページをみても、それは「カルト宗教」と呼ばれていた。まだそのときまで、宗教団体は生活の一部だった。それを初めて外部から見て、ショックは本当に強かったんだけど、自分の考えに確信を持つこともできた。

そして、とうとう両親に打ち明けたのだった。

 

その場で両親はなにも否定しなかった。

ただ、母は娘をなだめようとする。抱きしめる。父は自分のペースで良いんだよという。やってること・言ってることが、全て見当違いだった。

 翌日から娘が本当にお祈りしなくなって、両親は事の重大さに気づいたみたいだった。朝晩決まった時間には険悪なムードが流れた。

 

その年のクリスマスに、父にウォークマンを買ってもらった。その日の晩もお祈りに参加しなかった。

「あんたは自分の都合良い事ばっかりやな」

母親が吐き捨てるように言った。 

 

高校1年生が終わる頃から過食嘔吐するようになっていた。両親が不仲になっていった時期だし、周囲の子との人間関係にも悩んでいた。宗教もそうした要因の一つに過ぎない。けれども、朝晩吐くことが確実に新しい生活の習慣になっていった。食と生きる事が結びつかなくなっていく。

過食嘔吐は高校3年まで続いて、その間体重は39~61キロを行ったり来たりした。

 

中学3年以来宗教のことを他人には話していなかった。

再び打ち明けた相手は、高校3年時の担任の先生である。

高校3年生に上がった頃は摂食障害が悪化して、無断で学校休んだり、一度も教科書見ずにテスト受けたりしていた。

学校を遅刻して行った日、登校するとまず担任の先生に会って、ご両親とは上手くいってるの、と聞かれた。この人は信頼できるんじゃないか?少し前から直感していたところはあった。正直言えば、ずっとこの人に打ち明けたかった。宗教のこと、自分が他のこと違うんじゃないかって不安なこと。

先生は最後まで遮らずに聞いてくれた。

 

そして、

あなたは優しいし、何事もよく考えてる。まだ若いから周囲と打ち解けられないって気にしちゃうのね。年をとれば自分との折り合いもつけられるから。ご両親と宗教から自立して生きるために、まずは大学へ行きなさい。

こう言ってもらえた。

 

 短い人生で一番響いた言葉だし、生まれ変わった気持ちにもなって、その日から、大学受験する目的は「家を出て、一人暮らしすること」に定まった。

 

一年浪人の末、志望校に合格した。そこは実家から遠く離れたところにあって、下宿しないと通えない大学だった。

こうして私は家を出た。

  

現在、大学4年生です。

今でも親の心境は想像つきますが、ここ数年間は一切儀礼に立ち会っていません。