見た目がすげえ

カルト宗教2世がアラサーになりました。社会不適合者の回顧録。

カルト2世、家を出る(前)

前編 中学までのこと

 

自分の家庭が普通じゃないって思い始めたのは、多分10歳くらいからだと思う。

両親は新興宗教に入信していて、一人っ子の私も生まれた時から信者だった。

それから、数年後。高校1年のときに、親に宗教辞めるって宣言した。

 

* 

私は今大学4年生で、カルト宗教2世ということ、それに伴う毒親育ちってことから、なんとか抜け出そうともがいています。

そういうわけで、宗教からの離脱と重なる自分の半生を紹介させてください。

 

1. 小学校まで

カルト宗教に入っている以外はいたって普通の家庭だった(実際は後から色々問題露呈するんだけども)。お母さんはいつも明るくて笑いが絶えないし、お父さんも愛情表現こそ下手だけど優しい。それで、我が家の毎日の習慣が「お祈り」で、朝と夜の1日2回が鉄則だ。

大概の宗教はそういう性質を帯びるんだろうけども、うちの宗教も潔癖な傾向が強かった。それは、普段の行いに関して。例えば「嘘をついてはいけない」とか、「人の悪口を言ってはいけない」とか。それは確かに正しいことなんだけど、100%綺麗でいるなんてそれこそ聖者でないとできないよ。

けれど、私は本当に潔癖にそれを守っていた。クラスの男子に落書きされても、その子のこと悪く言わなかった。それに女子なんかませてて「あの芸能人整形だよね?」なんて大人の真似して話すんだけど、そんな会話もダメだった。

子供たちは周りの大人から教科書通りの倫理観を学んで成長するんだけど、ある段階でそれは上辺のルールなんだって気付く。それに、私は気づけなかった。私と周りの子の会話に摩擦が生じるようになるのは、時間の問題だった。

小学校高学年頃から、私は急に無口な子になっていった(と、後から母が言っている)。中学に上がった頃、まったく他の子の考えてることが分からなくなっていた。そして、中一の秋、私は不登校になった。

 

 

2. 中学校時代

不登校になった理由は当時自分でもわからなかったんだけど、今にしてみれば、他の子が自由に発言できるのが理解できなかったのだ。私は、喋る時まず「相手を傷つけないか」を心配して、慎重に言葉を選んで発言していた。でも、普通の人なら、日常会話レベルでそこまで慎重になんかならない。その点でスラスラ自分の考えが話せる同世代の子たちに、劣等感を持ったのだった。そこから、同世代の子に限らず、人間と関わる方法がわからなくなってしまった。

 

不登校になって気づいたことがある。「親は万能じゃない」っていうことだ。子供が自立する段階で、いつかはこの事実を悟る。私はこのタイミングだった。

母は娘が不登校になった事実にひどく取り乱して、当時の私には暴言ともとれることを散々言ってきた。もう、それまでの何でも肯定してくれる母親じゃなくなった。

親は万能じゃない証拠に、母は矛盾をはらんだ存在だった。「悪口を言ってはいけない」という宗教の教えを娘には押し付けるのに、自分は職場の人の悪口を散々私に言い聞かせてくる。これまで、胸の内に秘めていた「違和感」が、全部「親の矛盾」として露呈していった。

 

不登校自体は中学一年のうちに収束する。2年からはマトモに通うようになった。けれど、この間の学校の記憶ってあまり残ってない。

 

色々あったような、何もなかったような気もするけど、中学3年になった。

みんな、大人になろうと必死にもがいて、家族より友人関係が専らの心配事だった。私にも小学校からずっと付き合っていてくれてた友達がいて、あるとき、その子に全部打ち明けたいな、と思うようになった。

勇気を出して、告白した。

けれど、結果は何も伝わらなかったんだと思う。

そりゃそうだ。この日本で暮らしていて、それで普通の中学生だったら、宗教なんて話、いきなりきいて理解できないに決まってる。

冷静に自分を諭した。もう一人の自分になって自分に語りかけるって、この頃には日課になっていた。

数日後、その友達が、母親が家の玄関で宗教勧誘を追い払った話を笑いながらしているのを見て、吐きそうになった。

 

(後編に続きます)