なんで自殺できないのか考えてみた
隙あらば死にたい。
希死念慮と言ったら良いのかわからないけど、死ぬことに子どもの頃から憧れてる。
死ねば楽になるじゃん。今を生きて将来考えるより、死んだ方が得じゃん。
こんな理屈だけど、実行する気にはならない。
例えば、不慮の事故で…とか。急に隕石が落ちてくるとか。悪性のカキに当たっちゃうとか。
自分の意思の外で死にたい。
だから、もし今日死ねたらラッキーだな〜って思いながら過ごしてる。
それで、本題なんですが。
なんで自殺しないんだろう?
「しちゃいけない」っていう主張なら、昔から色々な精神論(生きたくても生きれない人はいるんだとかご両親や友達が悲しむとかなんとか)や宗教が理由を説明しているんだけど、
「しない」つまり本人が自殺を選択しない理由ってなんだろう。
4人に1人が自殺を考えたことがある時代だってどこかで聞いたけど、その全員が自殺するわけではない。
けれど、科学をイデオロギーと選択する人なら誰だってわかるじゃないか。
どんな人生を歩もうと、この瞬間死んだ方がずっと楽だってこと。
この問いを検証すべく、自分であれこれ考えてみた。
自分って一番身近な観察対象だもんね!
〜検証回路〜
だから、自殺できないって言うのは自殺する瞬間が怖いじゃん。痛そうだし。痛いことも苦しいこともしたくないもん。例えばいじめとか?病気とか?もう死ぬ痛みの方が断然マシだー!!ってぐらいの苦境に立たされたら迷わず自殺するけど、、、そんなキッカケもないし。たしかにさ、明日も明後日もだらだら生きていくのに希望持てないな〜って思ってはいるよ、けど今の状況ならとりあえず痛みも苦しみも感じて実行しようとも思わないかなって。
検証終了。
人は長期的な苦しみより目の前の痛みを恐れる。
それだから、今死んでやろうという合理的選択よりも、だらだらとまどろみの中で生き続けてしまうのである。
上記からわかった結論。ここ大事ですよー。
自殺する/しないに合理的評価は下せないのだ。
わたしは自殺を肯定も否定もしない。
死ぬ瞬間の恐怖や痛みに耐えられるなら、志望校決めるみたいに、転職するみたいに、人生の選択肢として採ればいいだけのことだ。
当分、わたしのまどろみは続きそうなんだけれど。